「幻想水滸伝5」「ドラゴンクエスト8」の感想
感想
2021年2月にPS2用ソフトの「幻想水滸伝5」(2006年2月23日発売)と「ドラゴンクエスト8」(2004年11月27日発売)を購入した。まずは幻想水滸伝5からゲームを始めた。ドラゴンクエストよりも幻想水滸伝のほうが期待が大きかったためである。
幻想水滸伝5の感想
幻想水滸伝5はゲーム開始後すぐには主人公を自由に動かせず、3Dのようになっている映像の中で登場人物が手や首を細かく動かしながら、やたらと長くしゃべる。セリフの量が多すぎると思う。私は3Dの細かい動きに興味はないし、同じくらいに興味がない、たわいもない会話をゆっくりと読み続けなければならないことが苦痛だった。
ゲームといえばセリフに声が付いているものもあるが、声を聞くよりも文字を読むほうが圧倒的にセリフ内容の把握が早く、私は声をスキップできるゲームは大体その声を最後まで聞かずに途中で飛ばしている。映像が3Dで声まで付くとまるで映画のようだが、私はゲームがしたいのであって映画を見たいわけではない。映画を倍速で見るときのように声の速度がもっと早ければ、目で把握するよりも音で聞いたほうが早く頭にセリフが入ってくるなら無理なく最後まで聞けるのかもしれない。声といえば、別のゲームの「どうぶつの森」の動物たちや「チョコボの不思議なダンジョン2」の村人たちは聞ける声を出していたと思う。何を言っているかは分からないが、声を出しているということは分かる。
話を元に戻すが、幻想水滸伝5は主人公を動かせるようになった後は「あれをやれ」「これをやれ」と課題を出されるばかりで、しかも初めてやるゲームだから、どこに何があるかが分からないし、どこに行って何をすれば目的を達成したことになるかもよく分からず、スムーズにゲームが進みにくくて1週間くらいで嫌になってゲームをやめた。船に乗ってどこかに行く途中でモンスターに襲われたところを誰かに助けられて、黒いお城のようなところ(ストームフィスト)に行った後からゲームが進んでいない。
幻想水滸伝1で名前だけ登場し、幻水2で仲間にもなったゲオルグ・プライムが最初からパーティにいるが、幻水5のゲオルグの顔のイラストは幻水2ゲオルグの顔のイラストと似ておらず、彼が幻水2にも出てきたあのゲオルグであることを意識しにくい。私には別人のように見える。幻水5未プレイの方に幻水5ゲオルグの顔のイラストだけを見せて、さてこれは誰でしょうと尋ねてもそれがゲオルグであると答えられる人は少ないと思う。また、ゲオルグと似たような服を着ているキャラが騎士団として他にも何人も出てきて、主人公の父親も似たような服を着ていて、せっかくのゲオルグが目立っていなかったと思う。要は皆、同じ騎士団の制服を着ていて、格好が同じなので区別を付けにくい。
攻略サイトを見てみるとかなり最初のほうでゲームをやめてしまったようです。攻略サイトを見ると「病院でイベント、ロヴェレ邸前でイベント、ロヴェレ邸裏の湖でイベント」などと書いてあり、この目の前で勝手に劇を始められるようなどうでもいいイベントをいちいち見ていかないとゲームが進まないのですが、あの広い町の中に入って、いきなり、さあ病院に行こう、さあロヴェレ(誰?)邸に行こうとは普通は思わないと思うので、なかなかゲームが進まない。町が広すぎると思うし、ゲームを進める手順に無理があると思う。
しかし、何をすれば良いかが分からずロヴェレ邸がある最初の町を数日かけて合計4時間くらいうろついていた私にとっては、最初の町の出入り口のところにセーブポイントがあって本当に良かったと思う。これが最初のセーブポイントになるため、あのセーブポイントがなければゲームを最初から始めなければならなくなる。このセーブポイントがなければ、登場人物が手や首を細かく動かしながら、やたらと長くしゃべる様子を2回以上見なければならなくなるところだった(私は3回見た。ゲームがぜんぜん進んでいないためセーブせずにゲームを終えたのが2回目を見た理由であり、ゲームがうまく進まないのは、序盤で何か見落としていることがあるためだと思ったのが3回目を見た理由である)。要は私は幻想水滸伝1で言えば、ゲーム開始直後にグレッグミンスターのお城の中で同じ部屋の中にいる父親のテオに話しかけることができず、テオに話しかけられないまま約4時間が経過していたのである。これは異常なことだと思う。
ところで、これは子供の頃に初めて幻想水滸伝「3」をプレイしたときに思ったことだが、ゲーム序盤にアヒルを擬人化したようなキャラクターが3Dで登場してきてそれが3Dで動いており、まるでNHKの幼児向け番組「おかあさんといっしょ」内で放送されていた着ぐるみによる人形劇「ドレミファ・どーなっつ!」を見ているような幼稚さが恥ずかしかった(本作はTVゲームであり、プレイ内容が大画面で家族に公開されている)。幻想水滸伝「2」序盤のゲンゲン隊長のようにドット絵なら気がつかなかったかもしれない幼稚さを3Dの人形劇によりはっきりと自覚させられたのである。幻想水滸伝5は主人公たち人間の体がたぶん幻想水滸伝3よりも長細いため、内容はともかく姿かたちのことだけを言えば着ぐるみ人形劇っぽさは薄まっていたと思う。
おわり。
ドラゴンクエスト8の感想
幻想水滸伝5はもうあきらめてドラゴンクエスト8をプレイすることにした。ドラゴンクエスト8も3Dだが、幻想水滸伝5と違って興味のない映像の動きと長めのセリフで時間を食うことは比較的少ない。フィールド上を走っていた印象のほうが強い。しかし新たに「3D酔い」という問題が出てきた。ゲームをしていると耳が詰まったような感じと頭痛がしてきて、気分が悪くなってくるのである(特に薄暗い塔の中でこれが顕著)。
これは幻想水滸伝5にもやや当てはまるが、3Dは2Dよりもかさばるのか、見えている範囲が狭いと思う。人間もDQ6や7なら二頭身くらいしかなくて小さかったと思うが、DQ8の主人公はとても体が長く、画面の占有面積が比較的大きい。現実の世界の富士山や東京タワーは遠くからでも見えると思うが、ゲームの中では2、3軒先の建物すら何があるかを把握できない。ボタンを押すと町全体を映すマップが出てくるが、町の形が四角形ではなく個性的な形をしており、どこにどんな施設があるかを把握しにくいし覚えにくい。また、町の中でも3Dの橋を渡ったり階段を上ったりという立体的で複雑なダンジョンのような動きをしないと移動できないようになっている(特に最初の町の階段がそう)。
2Dだと階段も橋も1枚の四角い絵の中を移動しているだけで、背景の色が階段だったり橋だったりするだけだったと思う。町の施設もこの町なら左下に道具屋がある、あの町なら右上に武器屋があるというように方角で覚えられたが、向きが一定ではない3Dではそれが難しい。ちなみに幻想水滸伝5はドラゴンクエスト8よりもさらに主人公たち人間の体が細いため、比較的、他のキャラに話しかけにくくなっている。細くて狭い当たり判定に合うように細い主人公を細い村人の前に移動させなければ細い村人に話しかけることができない。一応コントローラーには主人公を中心に画面を拡大するキーが付いていた(これは幻想水滸伝5の話です)。
ドラゴンクエスト8は、今はポルトリンクから船に乗ってどこかに行く途中でモンスターに襲われるところまでゲームが進んでいる(ドラクエ8と幻想水滸伝5はゲーム序盤に船に乗ってどこかに行く途中でモンスターに襲われるという共通点がある)。このモンスターが強すぎて倒せない。これも攻略サイトを見てみるとまだまだ序盤のほうだったようで、船に乗る以前のリーザス像の塔周辺の頃から出現モンスターが強すぎると思っていたら目標レベルがぜんぜん足りていなかった。お金もまったく足りておらず、武器や防具どころか薬草すら満足に買えない。太いほうの仲間は戦闘不能になり、自動的についてくる棺桶と主人公1人でフィールド上を走っていることが多かった。村から結構離れたところまで進んでいるような気がしていたため、もう村には戻りたくなかったのである。
夜寝る前に今夜はゲームを進めてみようかと思いつつも実際には何もせずに寝てしまうことが多い。アラサーでもう若くない私には村人全員に話しかけたり、ふくろの中に入っている薬草を主人公に持ち替えさせたりする気力は残っておらずゲームの続行は不可能と思われる。
おわり。