「ガソリン生活」(伊坂幸太郎)の感想

★★★★
伯爵レグホン大佐 2014/11/10(Mon) 22:50

あらすじ

緑色のデミオとその車を所有する望月家の話。車両同士が喋り出し、物語が進んでいく。テーマはダイアナ妃とモラルハラスメント。

感想

本作はSFミステリー小説といったジャンルの話である。そういえばドラえもんの作者である藤子F不二夫氏によると、SFというのは「すこし(S)」「不思議(F)」ということらしい。本書も現実に近い話に、車両同士が会話をするというSFの要素を取り込んだ作品といえる。

本書の主人公である緑色のデミオ(以下、緑デミオ)は望月家の車である。本書はミステリー小説であるため、望月家の人々は事件に巻き込まれていく。それを観察しているのが緑デミオなのである。緑デミオは車両同士の情報交換により、望月家の人々の会話以外からも情報を入手する。例えば駐車場や赤信号で停止中に周囲の車両と会話をし、様々な情報を入手するのである。

車両同士が会話をするのはトイストーリーのようで面白い。しかし、あくまでも会話ができるだけであり、当たり前のことだが車は自らの意思によっては動けない。車はあくまで人の手によらないと動けない。

車は人がアクセルを踏んでくれれば進むが、人は自分でアクセルを踏まないと前に進まないという台詞がある。人は様々なことを自分自身で決めなくてはならない。そのため、自分を後押ししてくれる人、車で言うところのアクセルを踏んでくれる人がほしいと思うらしい。自分で決断することで責任を負うことにもなるため、いろいろと悩んでしまう。そんな人は羽生の「決断力」を読めばいいと思う。

それはいいとして今回は悪人として「トガリさん」とやらが現れる。トガリさんは恐ろしい人らしい。自分の行う行動は全て青信号であると信じており、自分に不利益をもたらすものはすべて赤信号であり、許さないらしい。とにかくトガリさんは要注意人物であり、取扱注意なのである。ちなみに緑デミオが言うには、彼はリコールされるべき人間である。致命的な欠陥や事故を起こす可能性を持つ車両はリコールの対象となるのに、致命的な欠陥、事故を引き起こす人間はリコールされないのはなぜかと緑デミオとその友人でありカローラの「ザッパ」が話す。DNAレベルで「悪人」「犯罪を起こす可能性がある」「サイコパスである」と判定された人物がリコールされるべきか否かは何とも言えないが、車両の視点で言えば、リコールされないなんておかしい、ということらしい。なお「死神の浮力」では25人に1人の割合で出現するサイコパスに対する手段の1つとして崖から突き落とすと答えた民族がいた。これもその民族が自分たちに害をなす可能性をもった人間をリコールしたといえる。

それはともかく、本書は伊坂幸太郎の小説にしては読みやすく、さくさく読める。話が過去に戻ることもなければ、節ごとに視点が変わることもない。視点は一貫して緑デミオである。緑デミオに乗っていないときの望月家の会話は分からないし、彼らが乗ってこない間に進む状況は読者にもわからない。

とりあえずSFな話であり、読みやすくて良かった。

おわり。

伊坂幸太郎の本の感想文