行き先を指定して移動するよりも、自分でルートを選んだほうが早く目的地に着くケースがあります。たとえば織田家の清洲城から堺の町を目指すときは、堺の町を行き先に指定して移動する(奈良の町の近くを通るコース)よりも京の町を経由して堺の町に行くルートを取るほうが早く堺の町に着きます。
織田家で身分が侍大将以上の木下藤吉郎なら、酒場で1貫で買えるどぶろくを那古屋城主の林通勝に渡せば弁舌1、築城1、軍学1を各3日で教えてくれます。柴田勝家プレイでもそうです。10月生まれの新武将なら身分が物頭でも教えてもらえます(他の月生まれは調べていないので不明)。
評定で何も主命を受けていないなら評定があった日は内謁できます(身分が低いと成功しにくいですが)。合戦を終えて大名居城に帰ってきた日も内謁できます(身分が低いと成功しにくいですが)。主命成果報告日は内謁が成功しません。
城主に任命された後、その城に出立する前に、配下の身分を上げられます。この時に限って、配下の信頼度が一定の値に達していなくても、自分の配下の身分を自分の1つ下の身分まで引き上げることが可能です。たとえば自分が家老なら配下の信頼度が5000未満でもその配下を部将にすることができます。自分が宿老なら配下を家老にできます。
調略対象の血縁武将を同行者として連れていくと必ず調略が成功します。たとえば真田昌幸(理想を語れば引き抜ける)を同行者にしておけば、真田幸隆、真田信綱、真田昌輝の3人を確実に調略できます。
自分の配下にするつもりがない敵武将は落城時に切ったほうが良いです。切らないと自分の居城にその武将がやって来て配下にしてほしいと頼まれることがあります。断っても断っても何度もやってきます。断ったあとすぐにフィールド上に出ればその武将がいるので、もう二度と来てほしくない場合は個人戦で切ったほうが良いです。
織田家で城主になるのが早すぎると尾張の国の鳴海城主や美濃の国の岩村城主に任命され、東日本の国(遠江や信濃)の攻略を任されやすいです。徳川家の周辺を織田家のお城で囲うと、矛先を失った徳川家は同盟を破棄して織田家に攻め込んできます。
お金が足りなくても有り金全部を渡せば治療してくれます。要は所持金をゼロにしておけば無料で治療してもらえます。また、新武将なら京の町の医療所だけはいつでも無料で利用できます。
運賃が1日2貫、2日4貫の行き先はお金がなくても利用できます。運賃が足りないと言われた後の選択肢で「頼み込む」を選択すれば体力は100から20未満になりますが、目的地には着きます。
城内を歩いているときや町の施設に出入りするとき、南蛮寺で奉仕活動をするときなどにコントローラーのボタン(SELECT、STARTを除く)をどれでも良いのでどれか1つ押し続けると主人公が早く動きます。ただし、そのままボタンを押し続けているとゲームが進まないので、主人公が歩いている場面が終わったらすぐにボタンから手を放す必要があります。
太閤5はフィールド上を歩いていると体力が減りますが、太閤2はフィールド上を歩くと体力が回復します。
南蛮寺の「天下の情勢を聞く」で宇喜多家、長宗我部家、本願寺家、波多野家の外交情報を見ると、その外交情報の左上に「盟」という不必要な文字が残ります。外交情報の一番上は南部家になっていると思いますが、その南部家の「南」のところに「盟」の文字が覆いかぶさっています。
内謁から願い出られる休暇中に自宅で休養していると「夜間は開戦できません」「12人の兵士が脱落しました!」等の報告が入ることがあります。特に後者の脱落情報に関しては一度始まると1か月以上、毎日脱落の報告が続くことがあります。
攻城戦中に本丸にいる相手を挑発して自分のほうに呼び寄せて攻撃していると、本丸から離れた場所にいる相手を攻撃しているはずなのに、なぜか本丸の耐久力が下がることがあります。
家臣時代に誰かと競争する形で受けた主命の成果報告時に主君から「待て」と言われて自分だけがその場に残り、競争相手はその場から去ることがありますが、その「待て」が2回連続で発生したときは、1回目の「待て」で去ったはずの武将が2回目の「待て」のときに再び描写され、もう一度去ります。
身分が家老や宿老に上がるときの身分上昇の「待て」と、家老や宿老なので城主の話をされるときの「待て」で、2回連続の「待て」が発生。
改修の主命で、ごくまれに日数を減らしすぎて(?)、かかった日数が371日や372日にリバースすることがあります。