銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件
(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳)の感想
伯爵レグホン大佐 2014/10/18(Sat) 14:15
あらすじ
銀行強盗にあって妻が縮んだり、朝起きると夫が雪だるまになっていたり、シャワーを浴びていたら体がキャンディになっていたり、天井から歴史の欠片(かけら)が剥がれ落ちてきて埋まったり、神と遭遇したが、その神がとても薄汚かったので、神を洗濯機に入れて大量のジーンズと一緒に洗濯したりする話。
感想
銀行強盗は銀行にいる人々の魂の51%を奪い取る。それによって銀行内の人々は奪われた51%を自分の力で回復させなければ命を落とすことになるのである。体がキャンディになったり歴史の欠片(かけら)に埋まったりしてしまう。
なお、上記の現象は比喩表現らしい。体がキャンディになった女性は、体がキャンディになっていても夫や息子からは何とも不思議に思われない。彼女の体がキャンディになろうが、元々の肉体であろうが、彼女の家族にとってはどうでも良いということらしい。
家族の中で存在が消えたり、個性が無くなったりする。体がキャンディになるというのは、そんな彼女の状態を表すための比喩なのだとか。そんなことが他のサイトのレビューに書いてあった。
本書はジャンルとしては寓話に入ると思う。現実の世界に比喩表現で異常な現象を追加している。女性の体がキャンディになるのは異常だが、彼女の周囲は何とも思わない。
本書の物語は、銀行強盗にあった妻の話をメインとしている。銀行強盗にあって縮んでいく妻の話と、その妻と同じように強盗に魂を奪われた人々の話が順々に進んでいくのである。不思議な現象は強盗にあった他の人々にも起こり、魂を回復できなかった人々は命を失っていく。
魂を回復するというのはトラウマを克服することであったり、勇気を振り絞ったりすることらしい。たとえば心臓が爆弾になった女性は、周囲の人々を心臓の爆発から守るために、迷いながらも勇気を振り絞り、レストランで大声を出すのである。すると、そのおかげかどうかは知らないが、彼女の心臓は爆発せず魂を回復した。
魂を回復できなかった人のほうが遥かに多いのだが、それらの話には一体どういった意味が込められているのだろうか。私は未だに理解できない。正解がないので個人の解釈ですべてが決まる。著者はこれらの話にどのような意味を込めたのだろうか。著者の気持ちを考えて回答しなさい、という問題がテストに出てきたら嫌だなと思う。
本書のように結末やストーリーの意味を読者の想像に任せる作品は昔から多い。そういう作品も悪くはないが、結局のところ意味がわからないままになるため後味が悪い。
とはいえ、読んだ人により解釈が異なり、「それについて自分はこう思う」と意見を交換するのは良いことだと思う。 本書が国語の教科書に載っていたら、作品の意味をみんなで考えてみましょうとか、班の中で意見をまとめてその意見書を提出しなさいとか先生に言われるかもしれない。
なにはともあれ、メインストーリーの妻が縮む話以外はどれも10ページ程度の短い話なので、各被害者が迎える不思議な現象の意味を考えるのも良いと思う。
ということで終わり。 しかし、薄汚いからといって、神をコインランドリーに入れて洗濯するのはいかがなものかと思った。