歴史イベントとその発生条件

小一郎登用

木下藤吉郎プレイ時のみ身分が物頭以上で発生。清洲の町の実家に行き、弟の木下小一郎を配下にします。織田家以外でも発生。

足軽頭から浪人になる方法

身分が足軽頭だと内謁はできませんが、評定で命じられそうになった主命の拒否や、何か適当な主命を受けて実行不可能の報告を行うなどして信頼度を45以下にすることで浪人になれるため、織田家以外の大名家で発生させることも可能です。前者の行動は信頼度マイナス20(ただし、信頼度72の時点で主命拒否したらマイナス20されなかったことがある)、後者の行動は信頼度マイナス1割(端数切り上げ)になります。評定未出席でも信頼度マイナス1割になります。

身分降格時のイベント

信頼度の低下により身分が低下して配下の知行が支払えなくなると、配下から自分の身分を下げてほしいと頼まれたり、故郷に戻ると言って配下をやめる武将が出てきます。

母を迎える

木下藤吉郎プレイ時のみ身分が侍大将以上で発生。清洲の町の実家に行き、母を迎えます。清洲の町の実家は消滅。織田家以外でも発生。

墨俣一夜城

織田家で尾張統一後に攻略対象が斎藤家の時期に発生(フィールド上で発生するため外に出て1日時間がたつのを待つ)。成功すれば信頼度+500。失敗すると墨俣城が斎藤家のものになる。木下藤吉郎プレイ時に清洲の町の蜂須賀小六に助けを求めていれば蜂須賀小六が配下になる。

木下藤吉郎プレイ時に確認したスケジュール

例として11月11日に1回目の臨時評定が開かれた場合は(ここで墨俣築城を任されるのは柴田勝家)、同月15日に斎藤家の長井道利が攻めてきて、同月19日に2回目の臨時評定(ここで木下藤吉郎が墨俣築城を任される)の呼び出しがありました。

他武将プレイ時の蜂須賀小六

柴田勝家プレイ、新武将プレイだと柴田勝家や新武将が墨俣城を建てます。この場合は蜂須賀小六に助けを求めることができないため、自分の部隊だけで攻城戦を行うことになります。蜂須賀小六は墨俣築城の主命成果報告後に清洲の町の酒場に浪人として登場します。

戦い方

本丸で長々と戦っていると、士気や兵数がまだ残っているのに本丸の耐久力がゼロになって攻城戦に負けてしまうことがあります。敵よりも自分のほうが能力が高いことが前提の話ですが、イベント合戦開始時の位置取りは敵部隊がいる門の近くに自部隊を配置し、合戦開始後はすぐにお城から出てお城の外側で戦うと良いと思います。

義輝討ち死に

支配力2000以上で発生。織田家以外でも発生。北条家、上杉家、毛利家など最初から支配力が大きい大名家なら仕官後に外に出て待っているとすぐに発生する。

支配力の話

織田家の支配力
ゲーム開始時
(1560年5月)
1188
西美濃3人衆調略1446
鳥羽城調略1533
日野城調略1612
朽木谷城調略1694
鳴海城調略1810(尾張統一)
茨木城調略1878
墨俣築城2235(義輝討ち死に発生)

ゲーム開始から墨俣築城までの間に評定が2回開かれており、その評定で命じられた新田開発による石高増加により増えた支配力もあると思います。民掌握率も支配力と関係があるかもしれません。たとえば織田家なら1560年5月30から6月1日にかけて石高に変化はなくても民掌握率が上がり、支配力が16増えて1204になります。1560年6月1日に那古屋城の石高が1増えているときは1208になります。

尾張を統一せずに他国の城を増やすよりも、尾張を統一したほうが支配力が大きく増えます。支配力2005(尾張1国に美濃の岩村城、墨俣城、大垣城の3城)でこのイベントが発生したこともあります。墨俣城があると支配力が大きく増えます。

半兵衛調略

木下藤吉郎プレイ時に織田家で斎藤家を攻めている時期に発生(尾張統一後で木下藤吉郎は侍大将)。フィールド上で発生するため外に出て翌日まで時間がたつのを待つ必要あり。成功すれば信頼度+300、そして竹中半兵衛が配下になる。

柴田勝家や新武将だと発生しない。

稲葉山城移転、浅井家と同盟

織田家で尾張・美濃統一直後(大体、稲葉山城を落とした後)の評定で発生。移転先を言い当てれば信頼度+100。

主人公が城主だと発生しない。

明智光秀が家臣になる

織田家で発生。主人公が城主だと、たぶんこのイベントは発生しない。岐阜の町に一時的に将軍屋敷ができる。足利家を再興させるか、明智光秀プレイ時に明智光秀が織田家をやめると将軍屋敷はなくなる。

このイベントが発生するまでは織田家の攻略対象は尾張、美濃、伊勢と進む。このイベント発生後は、伊勢を攻めるのをやめて南近江を攻める。柴田勝家プレイ時に城主になるのが早すぎてこのイベントを発生させられず伊勢を攻略しきった後は、国攻めの主命の攻略先が信濃や遠江になる。大殿は越前若狭の国を攻めていた。このイベントを発生させないと織田家が近畿地方を攻めないので本能寺の変を発生させにくくなると思います。

足利家再興

織田家で二条城を落とした後にフィールド上で発生。二条城に足利家ができる。明智光秀が家臣になるイベントが発生していないと、たぶんこのイベントは発生しない。

金ヶ崎撤退戦

織田家で発生。主人公が城主だと発生しない。評定で朝倉討伐が宣言され、自動的にすぐに合戦に行くことになる。その後、殿軍に任命され、自分の部隊だけで朝倉軍と野戦を行う。お城に戻った後の選択肢はどちらを選んでも信頼度+1000。新武将や柴田勝家、明智光秀でも発生。

野戦マップの種類が固定されているため、画面上部の中央に山があるマップ(画面上部の中央に山があるマップは2種類ありますが、その2種類のうち、左側からのみ奥に進める山があるほうのマップ。もう一方のマップは左右どちらからでも通り抜けられるようになっているため、この技は使えない)を出して、その奥に移動し、山籠もりで1対1にして疲労度の上昇を抑える技が使えない。すぐにマップの端に寄って退却したほうが面倒な野戦を避けられて良いと思う。

将軍家と断交

織田家で自分が城主のときに1月の大評定で伝えられます。細川藤孝が織田家の家臣になります。

このイベントが発生する前に山城の国攻略の主命を受けていたときは、自分で二条城で攻めた後で細川藤孝を自分の配下にできます。

今浜城に移転、今浜城増築

木下藤吉郎プレイ時に今浜城以外のお城の城主になっている場合に国攻めの主命達成報告時に発生。同時に今浜城の築城許可が下り、今浜城の城レベルを1段階だけ上げることができます。築城により今浜城の最大石高が13から26になります。

明智光秀プレイなら坂本城の築城許可が出ます。坂本城も最大石高が13から26になります。築城のイベントはたぶん国攻めの主命を2回行うと発生するような感じです。

今浜を長浜に改名

木下藤吉郎プレイ時に今浜城の城主になり、執務コマンドを選択したときに発生。町の名前や説明文も変わる。

安土城築城

織田家で尾張、美濃、伊勢、南近江、北近江、山城の6か国を統一すると大評定で発生。3月に目加田城が安土城になり、宴に呼ばれる。町の名前や説明文も変わる。お城の見た目は赤くなる。お城の感想を述べて信長に感心されると信頼度+20される。

本能寺の変

織田家で安土城築城の6か国に加えて摂津、丹波丹後の2か国を統一するとフィールド上で発生。

羽柴秀吉、柴田勝家、明智光秀が城主になっていて、その3人と織田信長が出陣中でないことも条件です。出陣中の武将をお城に戻すためには、主人公がお城に1回出入りする必要があります。日数の経過だけではずっと出陣中のままです。

本能寺の変後は徳川家との同盟関係がなくなり、徳川家に尾張や美濃を攻められます。

イベントの内容

主人公が羽柴秀吉なら、まず安土城に至急登城の呼び出しを受けた後(もうこれから大名になるので信頼度を上げても意味がないが、一応ここで摂津や丹波丹後攻略の主命達成報告ができる)、帰城して評定で毛利領に攻め込む(攻め込むのは毛利家のお城であればどこでも良い。そして攻め込むとイベントが発生するため実際には戦わない)。

その後、二条城で明智光秀と野戦し、羽柴秀吉が勝てば秀吉が織田家の大部分を引き継ぐ大名となり、明智光秀はいなくなり、柴田勝家は独立する。秀吉が負けるか野戦から退却すれば明智光秀が織田家の大部分を引き継ぎ、羽柴秀吉、柴田勝家は独立する。

他の織田家の城主(丹羽長秀、林通勝、調略で落とした城主など)は羽柴秀吉、柴田勝家、明智光秀(生きている場合)のいずれかの配下になる。城主でない家臣もばらける。

イベントを順調に発生させる方法

木下藤吉郎プレイなら北近江のお城の城主になっているとイベントが順調に進行していきます。たとえば佐和山城主(のち今浜城主)に任命されているときは受ける国攻めの攻略先が北近江、山城、摂津、丹波丹後の順番になっており、北近江攻略の主命達成報告時に今浜城への城替えイベントが発生し、その後、山城攻略の主命を達成すると安土城が建ち、摂津、丹波丹後の国攻めの主命を達成すると本能寺の変が起きます。

明智光秀なら明智光秀で本能寺の変を起こす方法を参照のこと。

大坂城築城

織田家以外でも発生。本願寺城の防御度を最高(250)まで上げた後、自分で本願寺城に行って「築城」を選択する(お金が5万貫必要)。築城後は本願寺城の名前が大坂城になり、石山の町は大坂の町に名前が変わる。町の説明文も変わる。お城の見た目は青くなる。

本願寺城から離れた場所の大名になっていてもこのイベントを発生させることはできますが、現在の居城と連結していなければ居城を本願寺城(大坂城)に移転させることはできません。

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