第二章「国泰寺の観音様」

本文

イナゴ妖怪 2008/05/04(Sun) 09:46

「観音!お前はクビだ!!!」。 会議室中にその声は響き渡る。 観音様はこれを聞いてとてつもなくショックを受けた。 ショックのあまり「あってはならないことだあああああああああああーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」と叫びながら会議室を出て行ってしまった。 その姿は某県議のようだった。

観音様には夢があった。 文官になることである。 しかしながら現代には文官などという職業は無かった。 そこで観音様は第二の夢である市議会議員を目指し、いろいろあってその夢を果たした。 しかし、たった今クビになってしまった。

観音様は会議室を出たはいいが、これからどうしようかと悩んだ。 とりあえず落ち着くためにトイレに行くことにした。 しかし、トイレのドアの前には男が立っていて入れない。 観音様はそこをどいてくれと男に頼むが、男は一向にどく気配がない。 観音様はどうしようかと悩んだ。 その瞬間、男は突然「私はMIAのMASAROだ!! みんな赤点にしてやる!!!」と叫んだ。 あまりに突然だったので観音様は驚いた。 驚きすぎて心臓が止まりそうだった。 しかしなぜか落ち着いた。 だからトイレに行くのはやめて家に帰ることにした。

建物の出口まで行く途中、観音様はふと、こんなことを思った。 自分がクビになったのはHIRATA説を否定したからなのだろうか……と。 HIRATA説とは「やってもできないは言い訳」という考え方である。 簡単に言うと過程よりも結果がすべてということである。 例を言うと資格の勉強を毎日2時間し、平均学習時間を大幅に超えていても資格試験に受からなければ勉強していないのと同じ。 「平均学習時間を大幅に超えても受からなかったは言い訳。 努力が足りない」ということになる。 つまり「知的障害者が東大に受からないのは言い訳。 努力が足りない」ということになる。

それとも自己責任論を否定したからだろうか……と観音様は考えた。 自己責任論とは物事はすべてその本人自身に責任があるという考え方である。 つまり「海外で事件や事故に巻き込まれて死んだとしても自己責任」ということである。 だから拉致被害者も自己責任である。

あるいは「格差社会は甘えではない」と言ったからか……と観音様は思った。 某派遣会社のえらい人が「格差社会は甘えです」と言った。 甘えとかの問題なのかどうかは知らないが「24時間働け」と言う人もいた。 HIRATA説とこれを組み合わせると「24時間働けないのは言い訳、格差社会は甘え」となる。 24時間働いて過労死してほしいらしい。 代わりはいくらでもいるのだから。

~AA省略~

そんなことを考えながら建物の出口まで来ると、二人の男がドアの前に立って外に出られなくしている。 「24時間働かせるためだ」。 同僚の著名なワーキングプア石川啄木(じっと手を見る)はそう回想している。 またか、と観音様は思い、二人の男に話しかけた。 すると男は二人一緒に声を合わせてこう言った。 「ぼくのおちんちんをみろ、おちんちんびろーん」。 観音様は目の前が真っ暗になった。 その姿はまるでポケモンの主人公のようだった。

観音様はなんとかその場を切り抜け外に出た。 急いで喫茶店サンポールに行き、610ハップを頼んだが売ってくれなかった。 だから、あきらめて家に帰った。

~AA省略~

観音様はいろいろ考えて大工になった。 そして3年後、大工を辞めサッカー選手になった。 そしてまた3年後に芸人になった。 観音様は六星占術の教えによると3年ごとに人生が変わっていく人間だった。

観音様が家に帰ると近くの公園から歔欷(きょき)の声が聞こえた。 「おまえらの望みは叶ったぞ。 おまえらは、わしの心に勝ったのだ。 真実とは、決して空虚な妄想ではなかった。 どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。 どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」と言っている(走れメロス)。 「万歳、王様万歳」などとも言っている。

観音様は寝ることにした。 何時間かたち起きると新たな夢ができた。 宮仕いになることである。 さっそく皇室に行って雅子様に会わなければと思った。 雅子様は上から読んでも下から読んでも雅子様である。

終わり

歌と感想文

音のみ。MIDIです。読書感想文もあります。

歌詞
観音 お前はクビだ
部屋中に 声 響き渡る
あってはならないことだ
とりあえず トイレ行こう

私が クビになったのは
HIRATA説を 否定 したからか
それとも 自己 責任を
否定 したからか

歔欷(きょき)の 声が聞こえた
新しい 夢ができていた
さっそく 皇室に行き
雅子様に 会いに行ってから
一緒に 回文を作ろう

ちなみに回文というのは、上から読んでも下から読んでも(横書きなら左から読んでも右から読んでも)同じ読み方になる文のことです。